長年ギャンブル依存症だった男、そして発達障害にたどり着いた人生

ギャンブルでどん底まで行った男です。21年のギャンブル人生において人を裏切り、自殺未遂、ホームレス、生活保護を味わう。 そこで何を見て経験してきたのか記したいと思います。 そして少しずつですが、這い上がっていく姿を記録に残します。 日々のことも同時に記していきたいと考えています。 2019年末、発達障害でADHDとASDを含む混合型という事が判明 同時に知人を通じてHSS&HSPという事を知る 発達障害という事実を知ったからかそれまで狂っていたギャンブルがピタリと止まる

ヴィクトリアマイル

タイトルの通り本日はG1があります。

別に競馬をやるというわけではありませんが、久しぶりにアーモンドアイが出走するという事で
注目しています。

果たしてどんなレースをするのか?
断然人気ではありますが、正直自分は足元を救われる気がします。
去年の1,2着もいますし、久々の出走です。
そう簡単にはいかないでしょう。3着以下も十分考えられます。

今回ブログに記載したのは理由がもう一つがあります。
この2,3日身体がストレスや疲れ等でイライラしています。そんな中でやりたいという心がわずかに芽生えたからです。もし、気楽にできる状態であれば、万が一も考えられました。

実際にワクワクするレースですから何が起こるかわからないですもんね。

ここ数日疲れがとれなく気力がほとんど起きない。
少し危険な状態です。

気温が大幅にアップした影響もあるのでしょうが、やはり、就労移行支援施設の問題が挙げられます。
完全に辞めたつもりが説得の連発を受けまさかの保留となり、もう一方の就労支援施設と併用する事になりました。正直痛いところを突かれたという所もありますが、情を込めて訴えられると引いてしまう私の決断力の弱さでもあります。

精神的に辛く、告白して辞める事にしたのにこれでは二重苦です。特に私はHSP体質なので余計に気にします。

結局今は宙ぶらりんで手付かず状態。勉強にも精が出ません。
こういう時は何かに逃げようとするので危ないのです。

G1はあくまでも競技として楽しみ、辛くても現実からは目を逸らさず少しずつ前へ進んでいきたいです。

ギャンブルに狂っているだろうと最初に感じ始めた時

ギャンブルでやばいと思った最初の時・・・

正直覚えていない。

でもなんとなく思い出してみると恐らく大学1年の冬ぐらいだと思う。
手元の貯金がみるみるなくなっていく。そして、
ついには親の部屋に侵入し親が預かって貯めてくれていた定期預金に手を出し始めた。
当時は祖母からも月2万円の小遣いをもらっていた。おまけに貯金やバイト代をいれれば200万ぐらいは手元にあったのではなかろうか?

それがあっという間だった。恐怖に怯えながらも病気だという認識はまったくなかった。

そのまま一気に学生ローンや〇井のカードローン等に手を出す。
そちらも200万円近くあっという間になくなっていった。
当時はまっていた風俗の資金にもかなり流れたと思う。

結果、返せなくなり、その借金の大部分は親に肩代わりしてもらった。
ただ、その時ですら、もうしないと反省はしたもののこれで強い意志を持って立ち直れると信じて疑わなかった。だから病気とはまだ考えていなかった。

その中間でやばいと感じた記憶もある。大学の部の学費を全部使いこんだり、一度返済したローンを再度借りまくり、ある学生ローン会社を訪問をした時強い口調で断られた時だった。

あの時のやばいという感覚は今でも残っている。
今思えば頑として貸してくれなかったローン会社に感謝するし、
何故か会則が厳しい部において皆にも咎められず返済すれば良いと許してもらえた事に感謝したい。

だから学生時代には薄々気付いていたんだなあと思う。
下手すれば学生4年間で1000円近く使っているんではないだろうか?

ともかく部のおかげで輝けた4年でもあったが、同時にギャンブルにどっぷりはまった4年間だとも認識している。

今後のギャンブル依存生活の土台としては文句のつけようがないものだった。

オンラインミーティング

GAの開催がない中、最近ZOOMを使ったオンラインミーティングが流行っている。
とはいっても私は消極的だった。
今は発達障害の方に目を向ける時期だし、ないならないでもギャンブルをやる事はないからだ。
後、単純にオンラインは苦手だった。

ただ、同じグループの仲間から連絡を頂き、ホームで開催する事になった。
そこには参加しなくてはまずいだろう。
という事でこの2週間参加させてもらったわけだが、結果としてはやってもらって良かったというのが感想だ。
やはりギャンブルという事を除いても学ぶべき事はたくさんある。

自分はつい悲劇のヒーローを演じていて、こんな可哀そうな状況な人はいないとうぬぼれてしまう事はあるのだが、
やはり皆の話を聞くと皆自分のフィールドで頑張っているんだなあという事を学ばされる。そして、前向きな意見には
励まされる。

そして、改めて気付くのだ。自分を死ぬほど苦しめたギャンブルではあったが、同時に死ぬほど熱中させてもらったという
事実を・・・。

あの時はギャンブルがなければ本当に生きてこれなかった。そう、いうなれば最愛の恋人。
だから今は二度とやりたくないと思うギャンブルだが、それでもギャンブルを完全否定できない事実もある。

これからのそういった事実をあまり意識せず、肩に背負って生きていきたい。

そう私の罪が消える事は決してないのだから。

パチンコ屋休業の末に・・・

まだねばっているパチンコ屋もわずかにあるが、流石に潮時だろう。
遅くとも今月中には全店休業になるのではないか?

さて、依存症の私にとって気になる事はパチンコ屋に行く事が出来なくなった人達の事である。
これを機に止める人もいるだろうし、何か新しい趣味を見つける人もいるかもしれない。

問題は強依存症の人達・・・
今回休業最終日に大負けした人にとっては金銭的脅迫が半端じゃないはず
そう簡単に引き下がらないだろう。
そして、どこへ向かうかといったら・・・

競馬、競輪、競艇・・・

あるいはインカジ、バカラ、FX、株?
それとも”裏#???

さらにはギャンブルではなく、酒、薬、盗み、セックス、DVに向かう可能性もある。
最悪は自殺。

どちらにせよ狂っている依存症の心は現実とは違う世界に向かう。
そうすれば更に周りに迷惑をかけ、波状で広がっていく。

どうか、一人でも多くの人が救われてほしい。
辛いかもしれないが、どうか皆さんに神のご加護がありますように!!

お酒

お酒

禁酒してから15日になる。

正直自身はなぜ止めているのかわからなくなる時がある。
ちなみにその前は6日止めて2日飲んでしまい、6日止めてまた2日飲んでしまうという事を
2度繰り返している。最後の気持ちで3度目の挑戦である。

こないだ病院に行ったときもはっきりと先生に
「ギャンブルさえ止めていれば良い」
と言われた。

何故ならギャンブル依存症であってアルコール依存症ではないからである。

ではなぜ止めるのか?
正直明確な理由はない。
勿論酒を止めれば費用が浮くし、朝もすっきりだし、健康にも良いだろう・・・。
だが、その費用はというと無駄に余計な食べ物に回るだけだし、ストレスケアという点でいえば、
お酒がストレス発散になる時だって多々ある。自分は元々少量だし、少量ならかえって
体に良い
という説すらある。

今回は変わりたい?という勢いからツイッターで宣言してしまったし、成り行きという部分が強い。
ツイッター仲間が自分を禁酒仲間として喜んでくれている部分も裏切っちゃ悪いなあという気持ちを強くさせる。

だから自分の意志としては、全然強くないのだ。

それでもお酒を飲まない日を続けるとこんな生活もあるんだなと思えて来るし
良くも悪くもお酒に逃げようという気持ちはだんだん消えていく日々を感じている。

正直今自分自身にはいつ飲んでもいいと暗示をかけている。
ただ、このまま飲まない生活を続けたらどんな光景が見えるのだろう???という妙な期待感もある。

加えて依存ではないが好きな物を、メリットの方が多いと期待して、我慢し続けるのは間違いなく自分の意志である。依存でなければ自分は意志が強いんだ!という事も証明したい気持ちもある。

まあ飲んでしまったとしてもこの取り組みはきっと大きな意味があると信じてやってみたい。
一つずつコツコツとね!

ギャンブルを止めているからこそこのような取り組みに挑戦出来ること自分自身に感謝したい。

ありがとう!!!

大学に入るまで

正直あまり覚えていないが、高校生の時パチンコは10回以上行ったか?
というか10回まではかなりプラスになっていたという事はよく覚えている。
勝ったおかげで紫の春物の上着を買った記憶がよく残っている。
そして、母親にパチンコで唯一褒められた記憶が残っている。
「すごいじゃない?」
そんな感じだ。あまり親に褒められる記憶が少なかった私は無性に嬉しかった記憶がある。
もしかしたら、あの出来事が私がギャンブル依存になるきっかけだったかもしれない。
その証拠にそこからはっきり勝ち続けたという記憶があまりない。

後は3月からミニストップでアルバイトをしだした事は覚えている。
よく怒られたなあ。という記憶はある。そして、店長含め何人かパチンコが好きだったよな。
話題が盛り上がるので自分の居場所と感じたかもしれない。

後はマッサージ?風俗?忘れたけど神田のよくわからん店に入った記憶がある。
自分は18~20ぐらいまでは風俗に良く行った記憶がある。その後はどんどん回数は減っていくはずだが、
ギャンブルと風俗は常にセットだった記憶がある。
風俗はなんだろう?
当時は性がどうとかいう以前にサービスがプロフェッショナルで温かった。
寂しさから依存してしまったのかもしれない。

卒業旅行行ったっけ???
覚えていない。

高校3年生の記憶はこのぐらいかなあ?
寮生活でぱっとしない中学高校生活だったからそらあ、刺激的ではまるわなあ。
と改めて思った。きっかけとしては十分だったなあ。

この次は大学で記憶のある所を書いていこう。

競馬

桜花賞

名前の通り本日はG1レースの桜花賞があった。
勿論やりはしないが、予想はした。
とはいっても直前予想の為若干適当だが、過去のレース傾向から予想はしやすかった。
前残り、先行と差し馬の決着、あともう一頭はなんとなくスマイルカナを指名。
見事1.2.3決着
まあ、こんなもんだよね。ほんの一瞬衝動のようなものが動いたかもしれないが、
やらない後悔はなかった。無論後悔するぐらいなら見ない。
 
やっぱりG1だと心が躍る?
それもあるが、今心が安定していないのも要因だろう。
最近改めて悩みは多い。
就労支援の事、コロナの事、一人ぼっちである事、そして依存症より発達障害に対しての生きづらさが
圧倒的に強いこと、HSPの事、お酒の事。不安だらけである。

ツイッターでの承認欲求というのも多いだろう。

正に心の拠り所を探している最中だ。
そして、それを何かに求めている自分がいる。

その結果心が過去の拠り所であった競馬に求めてしまったのだろう。
直前とは言え依存要因のオッズまで見てしまっている。
安易に流されないようにしたい。

今こそ再度脇を絞めて自分のものと勘違いしているものを手放そう。
一旦GAも手放し、自分が本当に見つめる物に集中するときかもしれない。

これもきっと意味ある事。
神様どうもありがとう。