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本日就労支援施設の登録のための説明を受けに行った
この3か月で約6か所の施設を体験して周った
自身は本当に優柔不断である。なかなか決まらなかった
ただ、迷いすぎて本当にもう疲れた。恐らくだが、そのせいで体調も悪化した。
ギャンブラー体質の私は結局いいとこどりを狙う。だからよっぽどのところがないと
結局決められないのだ。だから今回の施設に強制的に決めた。
他の施設も本当によくしてくれた。
だが、私が施設に何を求めるかというと生活習慣の改善(食事や運動、睡眠含む)、
そしてギャンブルによって失った自信を取り戻すためだ。
結果一番基礎となる部分が学べる場所を選択した。
それは技術や就職率、コミュニケーションといったものより私には大切な事だった。
正直スタッフさんの対応ならほかの施設の方がよく、今回選んだ場所は正直印象が
よくなかった。それでもその基本となる部分を求めた。
ギャンブルを止めた理由を基本に返ったからである。
この選択がただしいかどうかは知る由もない。
ただ、この選択を下した事はきっと意味があると信じたい。
一応説明は受けたのだが、問題が起こった。
手続きを行う上で区の審査があるため、何度か区の保健士さんと面談をしなくてはならない
のだが、コロナの影響でGW明けまで一切面談をすることが出来なくなってしまったのだ!
しかもまだ、決まったばかり。つまり手続きが一切進まない( ;∀;)
本当に間が悪い男である。おまけに施設の方も翌週より在宅に入ってしまう為、
もう今週しか利用出来ないそうだ。しかも明日明後日は仕事のため私は出れない・・・
でもようやく一歩前に進んだとプラスに考えたい。
少しでも就労に近づいたんだったらいい。
ギャンブラーの時は結果なかりすぐ求めて失敗しかしなかったじゃないか?
とりあえず就職編第1章に入れる事を今は喜ぼう。
また、改めて今日まで私に良くしていただいた他の施設の方には感謝したい。
どうもありがとう。
★元々の私のギャンブルのきっかけ
小児の頃
自転車に補助輪なしで乗れなかった事があった
父に自分で運転出来たらおもちゃを買ってやると言われて
頑張った記憶がある
そこから、何かを実行する度に報酬を要求した。
賭けだったのだ。あの頃から欲深かったのかもしれない。
小学生~高校生の時
・ゲームセンターのメダルゲームや競馬ゲームにはまっていた
しかしゲームセンターの競馬ゲームは今思っても緩い
予想がよく当たったものだ。だから現在の競馬にそれを求めてしまったのかもしれない。
・家族たちの集まりがあるとよく子供の集まりではなく大人の集まりに混ざった。
そこではトランプとマッチを使った数十円単位の賭けをしていた。
かなり没頭した記憶がある。
・パチンコや競馬の記憶
実際に1度だけ父親が旅行でパチンコで当たり5000円に換金しているのを見た
何か妙にうれしかった記憶がある。また、競馬も父が行きつけの居酒屋で頼めば
馬券が購入出来ることを知っていた。何度か頼んだ記憶がある。
・ダービースタリオン
スーパーファミコンのゲームだと思うがかなりはまっていた。
あそこで競馬に目覚めたのは間違いない。それかた他のゲームで凱旋門賞に行ったり
それはもう興奮したものだ。
過去の何気ない行動を振り返ると今につながっている感じはするよね。
親もゲームもゲーセンも皆自分に甘いものね。
その記憶でそのまま来てしまったのかもしれない。
良い振り返りだ。
競馬
昨日G1大阪杯が行われた。
当然コロナの影響で無観客である。
ただ、驚いたことに前日のレースは昨年比から104%の売り上げがあったという。
少し前は前年比の70%程の売り上げしかなかったのにあっという間に盛り返した。
勿論G1シーズンが始まったというのもあるが、やはり観戦に行っていた人口の約4割がインターネット投票に移行したのが大きいだろう。結果的にJRAの経営的には万々歳かもしれない。これでコロナが去ればさらに売り上げは伸びるだろう。
JRAの営業もそうだが、当事者のストレスも抑えられなかったという事だろう。
逆に4割アップで売り上げが上回っているというのは恐怖も感じる。それだけ一人一人の購入単価が増えているという事だ。インターネット投票というのはゲーム感覚で馬券が買えてしまう。簡単にお金を使ってしまうという事だ。
私が依存状態であったときどこでも投票が出来るネット投票はまさに毒だった。
多分今回のことで依存症と呼ばれる人を増やしてしまうきっかけになってしまう懸念を覚える。私は解約しても無駄だったので、強制停止をしてもらった。JRA、地方競馬の職員とも共に良い反応ではなかった。一度その世界に入ると世間もそして自分自身も簡単には自分を解放をしてくれない。
なんとか地獄を見る依存症者を増やさないことを切に願う。
純粋に競馬が好きな人が純粋に楽しめる世界である事を願っています。
ギャンブルとの出会い
最初の出会いは高校3年生の12月頃?だったと思う
そもそもパチンコ屋はゲーセンの延長ぐらいにしか考えていなかったと思う。
ただ、18歳未満は禁止という認識はあったかもしれない。
大学受験も終わり一息ついて街をブラブラしていた時だ。
街の中心地に堂々と陣取るこの謎の店をずっと気になっていた。高校3年生といってももう18になるし、よし入ってやろうという気持ちになった。あまり詳しい状況は
覚えていないが、とりあえず店に入りパッキーカードを購入してやるんだなあという事はなんとなく理解が出来た。
当時は機種の絶対数も少なかった。大工の源さん、海物語、モンスターハウス、後は
羽物 その四つで店の7割ぐらいは占拠していたのではないかと思う。
とりあえず空いているモンスターハウスに座った。
だいたい座った席の位置もだいたい覚えている。そこでよくわからない状態で始めるが、隣のおばちゃんが親切に教えてくれた事なんとなく記憶に残っている。
ちょうど3千円のカードを購入したが(オレンジの色が入ったカードとだけ記憶にある。今思うとよく迷わず購入したもんだ)2千円がなくなろうとした時、お化けが下に表れて図柄を掴み見事大当たり。わけがわからず3連チャン。
その当時は交換制だったのでそこで止めるよう店員から案内があったと思う。
よくわからずレシートに交換、隣のおばちゃんにラッキーねと言われた記憶があるが、出玉は6千発ちょい。2千円→6千円 まあまあかなあと思った記憶はある。
受付では商品に交換する手段もあったのだが、全部交換でいいですか?
と言われ良くわからず、「はい」と答える
そして、わけのわからないブロックをもらい、他の人についていき交換所にたどりつく。どきどきしながらブロックを入れると金額表示の場所になんと15,000と点滅が!!
「えー!!!!!(*´▽`*)」
2.5円交換だから当然と言えば当然だが、当時6千円だと思っていた自分にはかなりの
衝撃だった。こんなもらって良いの~と興奮しながら家路につく。
こんな感じ。はっきりと最初のギャンブルだという認識はここが強い。
思っていた金額の2.5倍、そして普通に自分を受け入れてくれた大人の世界。
最初のきっかけとしては十分だったのかもしれない。
私の人生
私の人生
なんとなく印象に残っているところで・・・
*1.中高一貫の全寮制の寮にて生活 赤面症であまりぱっとしない人生を過ごす
*2.大学はサークルとの出会いのおかげで楽しいキャンパス生活
*大学のESSにて英語劇(ドラマ部門)に出会う
1年時にキャストで舞台に立ちスポットライトを浴びる快感を味わう
また、その他英語を通して他大学との交流を深める
2年時にはESSでのドラマ部門でディレクター(監督)を務める
3年時には部の会長を務め、ドラマ部門では再びキャストに戻り
最優秀個人演技賞を獲得
4年時には文科系の連合会の委員に所属し、
約10からなる語劇系団体のグループ長になる おかげで200人近くの後輩と交流する
*3.役者で食べて行くことを夢見て就職は眼中なし
大学中は就職活動一切せず
役者を夢見てアルバイトと併用して劇団やプロダクションに所属
*4.某有名劇団の養成所のオーディションに合格し研究生として所属
練習舞台で主役をやらせてもらい修了 いよいよこれからか?だったが・・・
*5.一気に歯車が狂う その後劇団等点々とするも鳴かず飛ばず
この頃自己破産、家出、自殺未遂、入院、地方を転々、工場勤務
仕事も点々とする 無駄に職歴だけ積み重ねていく
コンビニ、居酒屋、カフェ、建築、ラーメン屋、寿司屋、イベント、パチンコ屋
、ネットカフェ、ブラック、ディズニーキャスト、清掃、テレビ、郵便局
コールセンター、製造、営業、調査、倉庫、印刷、監視、スーパー、物産館、
雑貨屋、デパート、おにぎりや、配送、ランステ、ドライバー、SPD、介護
採点、マッサージ、オムライス屋、事務、総務、経理、マーケティングetc
*6.家族崩壊、ホームレスに突入
*7.数年後 ひょんな事から生活保護へ 再度自己破産へ
*8.病院にて極度の発達障害と判定
最後はなんかむなしくなって端折ってしまった。
上に挙げた4ぐらいまでは良かったんだ。将来はスーパースターになれると本気で
思っていたし周りも信じてくれた。でもどこからギャンブルで狂っていたかっていうと
結局1からなんだ。ずーっと歯車が狂っていた事はわかっていたんだ。
そう人生で20年以上もギャンブルに狂い無駄にしてきた。
改めてこれから1日ずつ自分のギャンブル人生を振り返って行きます。